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2008年12月のお知らせ・コラム

2008.12.31

〈一茶の俳句365〉 大年や我はいつ行く寺の鐘  一茶

きりえタイトル「除夜の鐘」
善光寺境内は人で埋まる。雪と共に空から新しい年が降りてくる感じがした。除夜の鐘が耳からだけでなく、全身に響く実感は、やはり境内にいてこそだ。
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皆さま、よいお年をお迎えください。

2008.12.30

〈一茶の俳句365〉 もちつきや棚の大黒にこにこと  一茶

きりえタイトル「お餅つき」
オリンピック招致の折に、ホテルの大ホールでお餅つきをした。日本の伝統の行事と、味をセットでおもてなしをしたかった。IOC委員は笑顔でそれを受けとめていた。大根おろし、あん、くるみだれなどを用意し、もてなす私たち女性も大いに楽しかった。お正月を迎える気持ちとオリンピック招致は同じ期待感だったのだ。

2008.12.29

〈一茶の俳句365〉 山茶花の垣につゝさす杓子かな  一茶

きりえタイトル「さざんか」
赤い花、白い花が寒風を快ち良さそうに咲いている。垣根になっているので、葉にほこりを受けているが、手でぬぐってやると、ピカピカになる。

2008.12.28

〈一茶の俳句365〉 忍草忍ばぬ草も枯野かな  一茶

きりえタイトル「やぶこうじ」 
蟻もゆく年と知ってか知らずか、日だまりでよく働いている。やぶこうじは一年中緑をみせてくれ、寒い庭で赤い実をたくさんつけている。

2008.12.27

〈一茶の俳句365〉 下駄音や庵へ曲る冬の月  一茶

きりえタイトル「侘助」
寒い月の夜に下駄の音が響く。かたわらにわびすけが咲いていたら、素人でも俳句を詠むんじゃないかな。

2008.12.26

〈一茶の俳句365〉 御地蔵のおさむいなりや石蕗の花  一茶

きりえタイトル「つわ蕗の黄」
信州の鎌倉と称される塩田の里で石蕗の花に出会った。手入れが行き届いている上、日当たりが申し分無い。その花は表具師である家主の力量を誇るかのように艶々としていた。

2008.12.25

〈一茶の俳句365〉 渡り鳥いく組我を追いぬくか  一茶

きりえタイトル「冬の空」
しめ切りに追われ、10分うかうかしていられない日々もあった。まだもうひとがんばりしたいと思う時に、ココアを入れた。ココアのコマーシャルの言葉をつぶやきながら飲んだ。疲れたら休むがいい。友はそう遠くへは行かないものだー。
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『なぜ、森に木を植えるのか。』
自分が地球上で生きてきて、現在の状況を引き出してしまった責任を考えるとき、何かしなければならないならば、何ができるのだろう。この便利さを捨てる勇気も無いのだから、せめて、環境に何か役に立つことをしなければ、車に乗る毎日にさえ、気が引ける。
そう考えていた時に、NPOメダカのがっこうの中村陽子さんから「樹木葬」の相談があった。陽子さんは、佐渡に朱鷺が放鳥される日のために、佐渡まで田の草取りに通いそれを成し遂げたヒト。やるなら、きちんと成し遂げなければ、と考え、決心して横内さんを訪問した。一緒に松本市長を訪問し、構想を伝え指示を受け、NPOの設立、松本市との賃貸契約など、3ヶ月で実現。同時進行で林野庁へ山村力誘発モデル事業の助成申請を出した。それは、幸い9月6日に認可がおりるというスムーズな流れであった。
そしてこども病院へのカリヨンの贈呈が11月2日。山の間伐、造成、間伐材の活用など、めまぐるしい半年の行動をして、翌3月には、林野庁への報告もしなければならなかった。慣れない初めての経験ばかり、まるで大学のゼミを受けている心境であった。今、その「いのちと平和の森」は確かに姿を見せている。アルプスからの風が好き抜ける清々しい森になっている。
生きた証をどう残すのか、まだ自分としては実感が全く湧かないのが正直な気持ちである。でも、自分の木がそこで育つことが、地球環境保全に参加する第一歩であることは実感できた。
人間は幾つになっても創める(はじめる)ことだ、と提唱する日野原重明先生の生き方に賛同し、私は森造りをそのテーマに選択した。平和についても、行動を起こすことは余り無い日常であるが、この森が「いのちと平和の森」と命名されているので、この森に行く時には、必ず平和のことも思うようになった。
平和こそいのちを大事に守る原点なのだ。突然にアメリカの経済危機が日本を覆い、思ってもいなかった現実が引き起こされている今年の暮れ。
私は、いつも、忘れず「いのちと平和の大切さ」を気持ちの中に持っていられる、それだけでもこの森造りに関わっている自分がうれしい。
それで、今は床暖房のボイラーをスイッチオンにしない2年目の冬を過ごす覚悟もできた。薪ストーブが飾りから、必需品になり、輻射熱で身体を芯から暖めながら休日を家で過ごす幸せを得ている。地球に暮らす者の自分への責任とは何か、それを無視しない生き方を森は教えてくれている。

2008.12.24

〈一茶の俳句365〉 わんぱくが仕業ながらも雪仏  一茶

きりえタイトル
「クリスマスイブ」
雪を丸めて遊べるように、空から大雪のプレゼント。さんざん遊んで疲れきって眠る子ども達の寝顔が、私へのプレゼントだった。
 私が子どもおn頃には、デリシャスりんごが半分枕元に置かれていたクリスマスもあった。黄色のりんごから香る甘酸っぱさで、それだけでも幸せな時代だった。

2008.12.23

〈一茶の俳句365〉 又けふもわすれてもどる日影かな 一茶

きりえタイトル「やつで」
冬にもしっかりと緑を主張している庭木のスター。

2008.12.22

〈一茶の俳句365〉 びわ咲くや世をうぢ山へ咄し道  一茶

きりえタイトル「びわの花」
真冬に咲いているぬくぬく色の花だ。

2008.12.21

〈一茶の俳句365〉 夕山やいつまで寒い風の吹く  一茶

きりえタイトル「寒すげ」
連休の頃、信濃平へ雪解けふきのとうを探しに行く。かたくりも咲いている。そこで寒すげに会える。

2008.12.20

〈一茶の俳句365〉 大珠数を首にかけたるかれ野かな 一茶

きりえタイトル
「からすうりもまっ赤」
からすうりの大珠数首かざりを、空にかけてやった。まっ赤だった。

2008.12.19

〈一茶の俳句365〉 薮先や暮れ行くとしの烏瓜  一茶

きりえタイトル「迎える冬」
冬枯れの野に黄からすうりを探す。なかなか山では見つからない。庭に植えられた実で、からたちより大きな黄からすうりに出会った風景を忘れない。

2008.12.18

〈一茶の俳句365〉 茶の花に隠れんぼする雀かな  一茶

きりえタイトル 「茶の花」
南信濃村や上村の山肌でお茶は栽培されている。その貴重なお茶を、いま私のアトリエでは粉にひいていただく。天竜川の川霧が届く斜面でしかお茶はできないのだという。このお茶が格別に緑鮮やかなのは、川霧に情の霧が忍んでいるからか。長野の寒さのことも考えず、この村からお茶の苗木をいただいた。家の外壁にへばりつくような狭い土に植えた。家からの暖気が寒をよけるのか、育っていて、花も咲いている。

2008.12.17

〈一茶の俳句365〉 神世より色替えぬかな松と浪  一茶

きりえタイトル 「松ぼっくり」
庭に古い松の木が残っている川中島古戦場一円の風景も、年々変化している。古い松マップを作って、認識する必要がありそうだ。兵どもの夢の跡を想いながら、新しいオリンピック道路を走る。
皇居をとりまく松の風景は、日本を象徴している。街道も松並木が排気ガスで勢いを失っている昨今、意識して松のある風景を守る時が来ている。

2008.12.16

〈一茶の俳句365〉 オシドリや人の短気を見ぬふりに 一茶

きりえタイトル「冬だから」
いままで、この枯れの美しさに気づかなかった。五十八年気づかなかった。幾つになっても発見の感性は残っている。老いの力を確かめた気がしている。

2008.12.15

〈一茶の俳句365〉 霜がれやどなたの顔も思案橋  一茶

きりえタイトル「夏の記憶として」
あの花の記憶が、いまここに枯れてたたずんでいる。枯れの美しさを教えてくれた川瀬敏郎芸術を想う。

2008.12.14

〈一茶の俳句365〉 冬枯れもそしらぬ顔や都鳥  一茶

きりえタイトル「からたちの実」
からたちの実を引き出しに入れておく。開ける毎に秋が香る。

2008.12.13

〈一茶の俳句365〉 ミミズクはとしの暮るゝがおかしいか                         一茶

きりえタイトル「視線」
いつの世にもリーダーがいる。深い思慮で何事をもじっとみつめている。饒舌ではない。そのひと言ひと言を待っている。いま勇断を下せるリーダーとは誰なのか。景観緑三法が施行されたのち、美しい風景のための発言を、私は待っている。示して欲しい。

2008.12.12

〈一茶の俳句365〉 くりくりと立派に枯れし堅木かな 一茶

きりえタイトル「木もれ陽」
木陰が長くなった。枝に一葉二葉を残すだけ。枝はすべて衣を脱いで春を待つ。冬に老いきって枯れたかのような姿になる樹。ところが春になると、みどり子のようなやわらかい芽を伸ばす。やがて、夏になると、青春まっ盛りの勢いをみせる。この繰り返しがある限り、風景の永遠は実現し続ける。

2008.12.11

〈一茶の俳句365〉 木がらしや椿は花の身づくろい  一茶

きりえタイトル「寒椿」
赤い椿も白い椿も、咲いた花を見ると、感嘆する。花ずいがまた格別美しい。

2008.12.10

〈一茶の俳句365〉 思い草おもわぬ草も枯れにけり  一茶

きりえタイトル「ルリ玉」
透明なガラスにとじこめて永久保存しておきたいほど美しい野ぶどうの実。

2008.12.09

〈一茶の俳句365〉 鴨よかもどっこの水にそう肥えた  一茶

きりえタイトル「冬の番い」
鴨のあのおいしい肉を思い出させてくれる一句だ。

2008.12.08

〈一茶の俳句365〉 日当たりや南天の実のかん袋  一茶

きりえタイトル「南天」
難を転じてくれるよう、お正月に南天を飾りたかった。

2008.12.07

〈一茶の俳句365〉 あれ月が月がと雁のさわぎかな  一茶

きりえタイトル「月の暈を渡る」
月に暈がかかると、あさって頃は雨かなどと言っていた祖母。この句の月はどんな様子だったのか。

2008.12.06

〈一茶の俳句365〉 ミミズクは笑って損や致しけん  一茶

きりえタイトル「ふたつの知恵」
今よりも、里にミミズクやコノハズクが住みついていたんだろう。眠りにつこうとしている窓の外で、ホーホーと鳴き声を聞かせていたならば、ナゾ掛けをしてみたい。損と掛けて笑いと問ク。その心は・・・などと
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今日は、松本で、田中欣一先生から「塩の道 千国街道」の講義を受けました。それはいのちと平和の森の新しい場所「アルプス公園北の森」が、その古道添いにあたるということが判ったからであります。国道19号線からの新道が造られたので、その古道が分断されていますが、梓川には熊倉の渡しがあり、その辺りから「泣き坂」「養老坂」へ、道は松本の岡田方面へとつながっているのです。糸魚川から運ばれた塩が、小谷、白馬、大町、安曇野そして松本へと入っていた時代の道。上杉勢が武田勢に贈った塩も、この道を通って運ばれたのだそうです。
歩くことでしか見えて来ないものがどれほど多いか、に気付かせてもらい、歩かなくなった自分を改めて感じました。生き字引の田中先生のたくさんのお言葉の中で、歩く500万年の歴史の中で、乗り物の世紀は、高々100年、という言葉が、今日はズキッと胸に刺さりました。新しいワタシを発見せよ、との教えでした。

2008.12.05

〈一茶の俳句365〉 キジなくや見かけた山のあるように 一茶

きりえタイトル「番いそれぞれ」
どこの山にも、キジは番いでいるのだろうか。うっすらと雪が降った早朝は、その足跡で狙われた。網の袋がついたリュックから尾羽が美しく出て背追われて、父は帰ってきた。

2008.12.04

〈一茶の俳句365〉 夕山やいつまで寒い風の吹く  一茶

きりえタイトル「北風を歩く」
マフラーをしっかり首に巻いた。手ぶくろもした。防寒ぐつをはいたら、もうどんな北風もへっちゃら。

2008.12.03

〈一茶の俳句365〉 あら寒し寒しというも栄ようかな 一茶

きりえタイトル「冬に真正面から」
水鳥は。水の中に快よく暮らす。暖房の効いた室から出て、本来持っている身体の耐久力を日々鍛えたい。眠りからさましたい。

2008.12.02

〈一茶の俳句365〉 古里やまたあうことも片思い  一茶

きりえタイトル「舟つなぎ石」
中山道の塩名田宿は、昭和の半ばまで花街の名残りでにぎやかだった。この舟つなぎ石が今もこの千曲川のほとりに残されている。
古里は茨と一茶は詠んでいる。信濃町に残っている土蔵に足を踏み入れると、その思いの一端をうかがうことができる。雪深い里でも暮らしが楽であったはずは無い。一茶の眼ざしの優しさ、明るさは、風土への強い愛に裏打ちされていて、暗さは強さに変えられている。この時代の風景にある信念は変えてはならない。その永遠のために、私はバトンを受け取って、次の世代へ渡す役目を果たしたい。

2008.12.01

〈一茶の俳句365〉 夫婦鴨碇おろして遊びけり  一茶

きりえタイトル「師走はじまる」
野沢菜の漬け込みで、冬仕度はほぼ完了。タイヤの交換をいつにすべきか、空の様子が気になりはじめている。

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